【映画レビュー】レディ・バード_「正しい」青春の考察。

レディ・バード(2017)

“Lady Bird”

監督;グレタ・ガーヴィグ

出演;シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ティモシー・シャラメ

「正しい」青春について考えました。

「レディ・バード」を観終わった後、「どうしよう。」と思いました。

ここまで高評価の作品なのに、自分にはあまり響くところがなかったからです。

そのためもあり、感想を書くのがだいぶ遅くなってしまいました。

いろいろつらつらと考えた挙句、たぶん、自分にはレディ・バードと重なる部分がほとんどないから悲しくなったんだろう、という結論に達して、やっと今書き始めているところです。

思うに、主役のレディ・バード(クリスティン)は、「正しい」青春(思春期、反抗期)を過ごしているのですが、全くそんな風ではなかった自分のおとなしめな10代後半を思い出して、少しブルーになってしまったみたい。

共感できなければその映画をいいと思えないのか、と問われれば、その答えはきっとノーであるべきなのでしょうが、青春時代とはやっぱり誰にとってもナーバスなもので、その内容が自分と微妙にかけ離れている場合、どこか冷淡な気持ちで眺めてしまうわたしがいるのでした。

しかし、「正しい」青春といっても、じゃあそれがバラ色なのかといえば、決してそうではありません。本人にとってはむしろダーク

でも、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」ということわざもあるように、自分の衝動を全部実行しても許されるのは若さの特権でもあるし、失敗しても回復がきくので、やりたいことを全部やって、時に失敗しておくのはとてもいいことです。

ここで乗り遅れると、一生はじけられず、当たって砕けた経験のない失敗恐怖症のびくびく人間になってしまい、ただひたすらおとなしく暮らし続けることになってしまいます。

レディ・バードは自分の衝動にしたがって行動し、周囲とぶつかり、時には親や友だちを傷つけたりしますが、それでいいのです。それこそが青春のあるべき姿なのです。

これからもがんばれレディ・バード。

レディ・バードは欠点だらけだけど、致命的ではない。

レディ・バードの巻き起こす騒動は、とはいえなかなかハードです。

冒頭、車中で「怒りの葡萄」の朗読を聴きながら同じように涙する母娘のようすから、2人は同等の感受性を持った人間なのだと分かります。文字通りの「親子」なのです。

それなのに、そのしんみりな空気の直後に、レディ・バードの進路についてマジな口論を始めるという恐ろしいほどの切り替えの早さで、癇癪を起したレディ・バードが車から飛び出して腕を骨折するというトンデモ展開。相当気性の激しい子なのね、ということが分かります。

その後も、彼女は飽きっぽかったり、やることが意外と姑息だったり、嘘つきで、尊敬している先生をプチ裏切ったり、親への甘えがすごかったり、などなど、よく言えば等身大の若者で、悪く言っちゃうとお子さまが過ぎますねー、というところ。

ともすればちょっとうんざりなキャラですが、それでも、彼女には真心があると分かるエピソードが中盤に用意されています。

理想通りだった自分の恋愛をぶち壊されたのに、10代後半の若さでこの対応が出来るのはすごいことです。

いろいろ欠点はあるけれど、根は優しい子なんだなあ、とじーんとするシーンでした。

母親と娘の物語でもある。

レディ・バードは、自分でそう名乗っているだけであって、本当の名前はクリスティンです。

陳腐な名前がいやなので、という理由らしく、これは名前をつけた親にとってはかなりキツい行動と思われますが、なんと、彼女は彼らにも「レディ・バード」と呼ばせているのでした。

そんな理不尽な要求を受け入れているわりに、お母さんはレディ・バードにかなりきつい態度です。

父親が失業してしまうというかなり不安な状況であるとはいえ、

「あんたを育てるのにいくらかかったと思ってるの!!」

と叱り飛ばすシーンはかなりビビります。(しかし、それでもめげないレディ・バードはさすがその娘。)

この母娘はとても似ていて、頑固で、思ったことを口に出さずにはいられないし、自分で決めたいし、やりたいことはやる。ということで、似過ぎているために衝突ばかりしています。

でも、お互いに大切に想っているのです。

印象的だったのは、プロムの衣装を選ぶシーン。
お母さんが、レディ・バードの選んだドレスにダメ出しをした後に、

「あなたにベストの状態でいてほしいから」

とつぶやくのですが、レディ・バードは、

「今がベストの状態だったら?」

と言い返します。

ここまではっきり言葉に出して言い合ったことはないけれど、自分も子どもの頃、母親とこういうやり取りがあったなあ。

今となっては、親が正しかったことが分かっているので、余計にお母さんが切ないシーンなのでした。

友情について

レディ・バードの親友ジュリーは、少しぽっちゃりで控えめさんです。

レディ・バードと同じ社会階層(中の下くらい?)で、多分そのことと体型に対して劣等感があり、自分を優秀だと熱心に褒めてくれる数学の先生に片想いをしていました。

でも普通に失恋して元気をなくしていたころ、親友のレディ・バードは、新しい彼をゲットするために、その子と仲のいい富裕層の女の子と仲良くしたりしていて、さらに落ち込んだりします。

どちらかというと、レディ・バードよりもジュリーの方がよくいる女の子です。

アクションを起こせずに脳内だけで恋愛をし、行動的な友だちをうらやましく思いながらも何も出来ない。

でも、そんなジュリーが愛しく思えるのは、やっぱり、自分がそうだったからなのかなと思います。

だから、プロムでジュリーとレディ・バードが心の底から楽しそうに踊るシーンはうれしいです。彼よりジュリーを選んだのがレディ・バードのいいところ。

ジュリーのこれからがちょっと気になる。

恋愛について(※閲覧注意です)

青春映画らしく、レディ・バードも作中でロストバージンを経験するのですが、その時の相手の反応が少しショックだったので、多少過激な内容にはなりますが、書いておきたいと思います。
(※お上品な話ではないので、気になる方は読み飛ばしてくださいませ)

レディ・バードのロストバージンは、ありがちな、2人とも初めてと思っていたら実は自分だけだった、ということに後から気付く、というパターンでした。

ここまではまあ、よくありそうだし特に文句はないのですが、むっとしたのは、相手の彼が、レディ・バードがそのことに対して少し反論したら、「アフリカでは飢えている人たちがいるのに、それに比べたらどうでもいいことでしょ」的なことを言った時。

いやいやいやいや、それが真理かどうかは置いておいて、そういうことを引き合いに出すのは反則だし、それを言うなら、「理想的なロストバージンへの憧れ」は「オマエの日常的な性欲」よりは尊重されていいと思うですよ。

この彼は、読書家で、世の中を憂いているミステリアスな少年、みたいに描かれていましたが、この安っぽい行動で、大したことないヤツである、となってしまいました。

騙して処女を奪うのは別にいいけど(しかもすごい「早かった」みたいなのが笑える)、その正当化の仕方がそれではいかんです。せめてもう少し独創的な言い訳を考えるくらいの工夫がほしかった。

面倒くさいなら、他の相手を探しましょう。

でも、この彼は、その分、レディ・バードのやることにも口を出さずにいてくれたことはよかったです。ただ単に興味がなかったのかもしれないけど・・。

まとめ

共感しなかったとか言いながら、周りの人たちには共感しまくっていた「レディ・バード」。

ただ、アメリカのヒエラルキーや、レディ・バードの住むサクラメントに対する知識があまりない日本人にとっては、アメリカ人ほど楽しめない作品である、というのは本当みたいです。

シアーシャ・ローナンはあまり高校生には見えなかったですが、「つぐない」から大人になったなあとしみじみしました。

先日、シアーシャ・ローナンつながりで「ラブリーボーン」も見たので、また後日、その感想も書きたいと思います。

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