全ては「彼」の記憶_【映画レビュー】エターナル・サンシャイン

エターナル・サンシャイン(2004)

“Eternal Sunshine of the Spotless Mind”

監督;ミシェル・ゴンドリー

出演;ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウィルキンソン

辛すぎる恋の記憶なら、いっそ消してしまおう、という選択肢

「エターナル・サンシャイン」は、ケンカした彼女に自分の記憶を消されてしまった男性が、失意のあまり、自分も彼女の記憶を消してしまおうとする・・というお話です。

「50回目のファーストキス」とは全く逆ですね。向こうはあんなに必死で記憶を留めようとしていたのに、なんという罰当たりな。

でも、一方的で理不尽な別れに苦しむ男女なら、「いっそ忘れられたら」とまで思い詰めることはあるのではないか、と思います。

それなのに、いざ消そうとすると、やっぱり忘れたくない。この記憶だけはとっておきたい。あの記憶も・・。

自分の脳内で、彼女とのきらきらした思い出が無残に打ち砕かれていくようすに絶望するジム・キャリーが悲しいです。

この作品の素晴らしいところは、それらのきらきらした思い出が、本当に「思い出」のように画面に映し出されるところ。

記憶とは可視ではないですが、もし見られるなら、好きな人との思いではこんな風かな、と思えるメルヘンな感じになっています。撮影したレンズとかが違うのかしら。

そこにキャリーの自我が割り込んできていろいろぐちゃぐちゃになりますが、2人の恋のぴかぴかな部分は、そりゃあその記憶は失くしたくないよね、とこちらに伝わるのに十分な純度なのでした。

でも、全ては彼の脳内で起こっていること?

本作は3つのパートに分かれていて、作中の時系列順には、下記のようになっています。

  1. 記憶を消去した後に、2人が再会する(現実)
  2. キャリーが記憶を消去するためのいろいろ(現実の記憶とキャリーの葛藤が脳内で行き交う)
  3. 1の後、2人が、お互いが記憶を消去したことを知る(現実)

物語のハイライトは2の部分なのですが、これは、実際は全てジム・キャリーの脳内で起こっていることです。

彼は、記憶を消されないように、ケイト・ウィンスレットを連れて自分の脳内(記憶の地図?)を右往左往するようになりますが、実際には過去にそんなことをしてはいないので、その途中でケイトが言ったりやったりすることは全部、キャリーの想像でしかなく、「現実の」ケイトではない、ということになります。

となると?思い出は別として、今、この時点で、ケイトがどんな風に思っているのかは、キャリーの想像の産物でしかないのでした。

恋愛ものを見たり読んだりする時、それが男性側の視点なのか女性側の視点なのかによって、物語のカラーは、よくも悪くもだいぶ変わるように思います。

「エターナル・サンシャイン」は、作品自体も、脚本も監督も男性視点のためか、この「想像部分」に少しく彼らの女性に対するファンタジーが入っている気がして、それがわたしには少しこそばゆく感じました。

ケイト・ウィンスレットがとにかくすごくよい。

ただし、そのファンタジーが映画の中でとても生き生きとしているのは、本作でのケイト・ウィンスレットの素晴らしさが多分に寄与していることは間違いないです。

赤・オレンジ・緑・青のヘアカラーが全部似合ってるし、ファンタジーにもリアルにもびっくりするくらい馴染むし、とにかくそのエナジーが半端なく画面を支配しています。
演技力はもとより、その存在感はやっぱり圧倒的で、ケイトがいなければ、この作品は成立していないと思うくらい。

一方のジム・キャリーは、寂しげな風体はバッチリなのですが、やっぱりコメディアン根性が出てしまったのか、睡眠薬を飲んだ後に眼をぎょろぎょろ動かすシーンに本性が出ちゃってましたよ。

気を付けてほしいです。

原題の意味とは。

あまりにケイトがステキなので、タイトルの「エターナル・サンシャイン」とはケイト(=思い出の中の彼女)のことかと思い込んでいたのですが、違いました。

原題は、英国詩人アレキサンダー・ポープの「エロイーザからアベラードへ」という恋愛書簡詩からとっているそうです。

もともと、この恋愛書簡詩のもととなった「アベラードとエロイーザ」という、実話を基にしたフランスの書簡集があって、そのお話は悲劇に終わった純愛の物語として有名なのだそう。

その詩の原文では、原題の“Eternal Sunshine of the Spotless Mind”が下記のように出てくるとか。

How happy is the blameless vestal’s lot!

The world forgetting, by the world forgot.

Eternal sunshine of the spotless mind!

Each pray’r accepted, and each wish resign’d.

何のこっちゃなので(各文の長さが揃っていて、文末に韻を踏んでいるような気がするのがいかにも「詩」ですなー)、Neflixの日本語字幕も引用させていただきます。

幸せは無垢な心に宿る
忘却は許すこと
太陽の光に導かれ
翳りなき祈りは運命を動かす

日本語にしてもまだよく分かりませんが、日本人なのでとりあえず仏教風に解釈してみると、「無我の境地」になれればすごくイイ、みたいなことかなあと思います。

アベラールと引き裂かれて修道院に入ったエロイーズの心境を綴ったものだそうで、現代の通常恋愛でここまでの境地に至るのはかなり稀であると思われます。

映画の内容との関連は、わたしにはいまいちよく分かりませんでしたが、少し調べてみたところ、脚本のチャーリー・カウフマンも、「このタイトルは一発で覚えにくいから面白いと思った」という理由でつけたようなので、まあいっか、と結論しました。

元ネタは置いておいて、”Eternal Sunshine”はすごくいい響きで好きです。

まとめ

図らずも、「50回目のファーストキス」と本作という、どちらも記憶を扱った恋愛映画を同時期に鑑賞したのですが、どちらの作品でも、「恋愛は脳の記憶だけに宿るのではない」というメッセージがありました。

中途半端に記憶を消して、残された理解不能な断片に苦しむよりは、やっぱり、つらい記憶にも幸せな記憶にもきちんと向き合った上で、次のステップに果敢に挑んでいくことがいちばん正しいのだと思う次第です。

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